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経営・解体新書 第三回~日本プライベートエクイティ株式会社~

経営・解体新書
日々ビジネスに挑まれている経営者の方をゲストにお招きし、
その根底に息づく“経営哲学”について伺う対談企画

 

2000年10月設立以来、今年創業18年を迎える、日本プライベートエクイティ株式会社(JPE)は、中堅・中小企業に特化したバイアウトファンドのパイオニアであり、 事業承継や事業再編の局面において、日本の中堅・中小企業を支える重要な役割を担っています。
経営・解体新書 第3回は、代表取締役社長 法田 真一様とTRAIL シニアオペレーション・ディレクター 石井 淳治が対談し、経営理念、これまで18年の歩みについてお聞きました。

 

■中堅・中小企業バイアウトファンドのパイオニア

石井 2000年の設立以来、今年で18年を迎えられました。2000年の時代というと、世間はITベンチャーが盛り上がる一方、銀行は不良債権処理でまだ苦しんでいた頃で、事業承継ニーズに対して、具体的に動くプレイヤーは少なかった時代だと思います。そうした時代にJPEの会社設立に至った経緯を、まずお伺いできればと思います。

法田 日本プライベートエクイティ株式会社(JPE)は、私の前職である日本アジア投資株式会社(JAIC)というベンチャーキャピタル(VC)の新規事業の一つとして生まれました。
当時のJAICが、今後VCの事業を多角化していくことになり、その事業開発室のメンバーの一人として私も参画していました。プロジェクトファイナンスや事業再生投資など、いろいろな事を手掛けたのですが、その中の一つに「バイアウト投資」があったんです。「これは一つの会社としてやっていこう、切り出してやっていこう」となったのがJPEのそもそものスタートです。

 

 

石井 新規事業の一つとしての位置付けだったのですね。ただ単独ではなく、合弁でのスタートでしたよね。

法田 当時は、御三家PEファンドと言われたユニゾン・キャピタル、アドバンテッジ・パートナーズ、MKSパートナーズが、いわゆるラージキャップのバイアウト案件をやっていた時期でした。それに対し、JAICはベンチャー投資をしておりましたので、「やはり自分たちの得意な領域は中小企業だよね。ああいう大きな案件でなく、中堅・中小企業の中でバイアウト投資ができないだろうか」と模索していました。ただ、「投資の入口でも出口でも、どうやらバイアウトというのはM&Aのノウハウが必要になってくるぞ」、「ベンチャー投資だけでは、そのノウハウは補えないぞ」ということで、日本M&Aセンターと組む話が持ち上がりました。
M&Aセンターは中小企業のM&Aの仲介をしていましたので、「互いに投資とM&Aのノウハウを持ち合わせてバイアウトをやっていこう。やるのであれば、一つの会社として立ち上げよう」とジョイントベンチャーとして発足したのが、この日本プライベートエクイティ(JPE)という会社です。

石井 投資とM&Aのノウハウを組み合わせて、ということは、JAICとM&Aセンターの双方から有志が参加して立ち上がったのでしょうか。

法田 いえ、実はJAICの4名だけの立ち上げでした。M&Aのノウハウについては、投資委員会の場でM&Aセンターの方に入っていただき、バリエーションはどうなの?EXITはあるの?と、その場で目線を共有していました。
ベンチャー投資のバリエーションとM&Aのバリエーション、今考えると普通にわかりますけれど、当時は全くわからなくて、そういうところから始めました。

石井 その4名の一人として法田さんもバイアウト投資に入って行ったのですね。

法田 JAICでは、ずっとベンチャー投資をしていました。東京よりも地方にいることが多く、東京で数か月してすぐに、札幌支店立上げ。その後大阪支店。次は岡山支店立上げと、地方のベンチャー企業さんと接する機会が多くありました。でも地方のベンチャーって1年もいたら大体わかってしまうんですよね。限られてしまう。他はもう普通の中小企業ばかりなので、「IPOしましょう」と言ってもあまり響かない。
99%が中小企業というなかで、ほんの一握りのベンチャーよりも、普通の中小企業にエクイティとして何かできないのかな、という思いは常にありました。ベンチャーよりも、普通の中小企業の方が、なんとなく肌にあっていたのかもしれないです。

石井 JPE立ち上げ後は、その時々のパートナーと共に、パートナーのニーズを汲み取ったファンドを次々と展開してこられました。

法田 JPEは設立から今に至るまで、それほどカタチは変わっていません。「中堅・中小企業」であること。「事業承継・事業再編を対象としたバイアウト投資」であること。ただ、我々は常に新しいファンドを作っていかないといけません。それが途切れたら、その時点で終わりです。
2001年に、あおぞら銀行さんと共に最初のファンドをつくりました。あおぞら銀行さんに、「中小企業のエクイティに入っていきたい」というニーズがあったので、一緒にファンドをつくることになり、出資者になっていただきました。
2003年には、三洋電機さんと一緒に、製造業に特化した「TAKUMIファンド」、そして2008年には、地域特化した「九州・リレーションシップファンド」を福岡銀行さんグループと一緒につくりました。
中小企業のバイアウトということは変わらない中で、その都度いろいろなパートナーさんとのご縁があり、いろんな形で変わってきたというのが、今の姿になっているのだと思います。

■危機を転機に。ステージ格上げ

石井 そうして18年という長い年月を積み重ねて来られました。この間に、世の中から消えていったVCやファンドも多くあります。JPEとしても、大きな転機となる事態もあったのではないかと想像するのですが、いかがでしょうか。

法田 JAICのグループ会社としてスタートした我々ですが、リーマンショックの後、親会社のJAICが行き詰ってしまった時期がありました。最終赤字が350億ほどに達し、負債も400億ほどありました。約60行の金融機関との取引の中で、「さすがにこれは難しい、かといって潰すわけにもいかない」ということで、事業再生ADR(※注1)を申請する事態になりました。当時、東証一部に上場していたのですが、一部上場企業としては初めてのことでした。
私個人も、バイアウト担当の役員としてJAICの取締役も兼任していましたので、流石に見放すわけにもいきませんでした。当時はJPEの代表もやりながら、8割方と言うと出資者の方に怒られてしまいますが、やはりJAICに行かなくてはならないことが多かったです。
そこでは、国内投資、ベンチャー投資に関して、再建というか再構築を進めていました。そして、親会社で初めてリストラも経験しました。当然、希望退職に向けた面談もすべてやりました。こういう再構築の場で実際に再生の過程を経験したことが、個人としてもひとつの転機となりました。

石井 そこまで大変な時期があったとは存じ上げませんでした。

法田 我々JPEは、2000年から事務所も別に構え、完全に独立採算でずっと黒字も維持していたのですが、親会社(JAIC)がそういう状態だと、今度はお金が集められなくなる。投資先からもやはり不安感が出てきて、大丈夫なの?という話になってくる。それで、今度は我々自身のことも考えなくてはいけない、ということで、JPEの資本政策を検討することになりました。
そして1年半程かかりましたが、日本政策投資銀行さんに株主になっていただき、JAICのグループ会社から、「M&Aセンター」「日本政策投資銀行(DBJ)」 「日本アジア投資(JAIC)」この3つがそれぞれ過半を持たない株主となり、元々、中立的ということを謳っていましたが、どこにも過半を依存しない、そういうファンドマネジメント会社になったという事です(※注2)。誰の意見にも左右されない、意思決定も自分たちでできますよ、というのは創業当初から変わっていないのですが、資本の建付け上でもそうなったという事が、一番大きな転機でした。
そして、やはりDBJさんに入っていただいた事の意味も大きく、いわゆる国の銀行が資本に入ったことで投資家の方も安心しますし、オーナー経営者の方にとっても大きな安心感に繋がりました。JPEの会社としての姿も、ここでひとつ大きく変わった感がありますね。

石井 信用力の面からも、会社のステージを一段上げられたのですね。

法田 そうですね。まさに、転機はどこですかと言われたら、そこが一つの転機でしたね。

石井 このご経験が、投資方針にも何らかの影響を与えたことはありましたでしょうか。

法田 幸いといいますか、先ほどお話に出た2008年に九州・リレーションシップファンドやDBJさんとの3号ファンドも立ち上げた時期でもあり、お金という意味では確保できていました。むしろリーマンショック後は、投資の好機でもあったので、積極的に投資をしていきました。

石井 リーマンショックを投資の好機と、とらえたのですね。後で振りかえれば好機と言えるのですが、その最中に好機だと判断するのは、なかなか難しい。どちらかというと、今抱えているものを本当にEXITできるのか?ということに窮していて、投資に意識を向けるのがとても難しい時期でしたよね。

法田 はい、世の中そうでしたよね。当然親会社(JAIC)の方は、「いかに回収し、キャッシュ化し、返済するか」をやっていました。他のファンドさんも、皆さん投資をストップしてましたが、我々はそこを逆に、投資を進めた時期でした。

石井 リーマンショックに端を発した危機を、資本政策による信用力格上げと、逆張り投資を進める好機へと転じられたわけですね。

■温かみを感じる経営理念

石井 他のファンドと違う、JPEの特徴を最も表していると思うのは、この経営理念です。
「志を継いで 夢をカタチに。 夢を継いで 新たなる時代へ。」
設立早い段階から、このようなお考えをお持ちだったとお見受けしたのですが、どのような背景があったのでしょうか。

法田 ひとつの新規事業として生まれたJPEですが、当然、私も会社を立ち上げるのは初めてでした。新しいビジネス、新しい会社を立ち上げるのだから、やはり何か理念が必要だなと言う事を、それまで教科書的には理解していましたが、この時初めて実感しました。株主、出資者、投資家の方に対しても、我々の投資先、経営者に対しても、JPEの社員に対してもそうですが、自分たちがやりたいことを理解してもらうには、何か一言で明確に伝えるものが必要だろう、という中で生まれたのが、現在の名刺にも書いてありますが、「志を継いで 夢をカタチに」という言葉を思いついたというか、考えたというか(笑)。
TRAILさんの経営理念と同じですね。「構想をカタチに」とか、「カタチに」が同じですね。

石井 そうですね。確かに同じコンセプトが含まれていますよね。
こうした理念からも、あまりファンドファンドしていない。例えば「会社を買うのではなく、託されるんだ」という表現も使われていますが、とてもJPEらしさを表す言葉だと思います。

法田 これは、オーナー経営者さんとのやりとりの中で、生まれてきた言葉というよりも、感覚といった方が近いのかもしれません。
オーナー経営者さんの、「自分たちの会社をこんな風にしてもらいたい」と望んでいる気持ちが、日々のやりとりの中から直に伝わってくる。だから、「やはりこの人の前で会社買うとか売るとかとは言えないな。では、なんと言えばいいだろう。やはり託してもらうんだ、託すんだ。」そう言う感覚です。
あとは感じていただいたように、ファンドは「EXIT」と言いますが、我々は「卒業」と言っています。その辺りなかなか伝わりずらいのですが、オーナーさんにはそういうところで、ふっと親近感を感じてもらい、安心してもらえればと思います。

石井 一つひとつの言葉から、法田さんはもちろんのこと、JPEさんの人間味が感じられますし、本当に温かみが伝わってきます。

法田 そう言っていただけると、有難いというか、嬉しいです。
会社は、日本プライベートエクイティとカタカナですけれど、どちらかというと漢字・日本語を大事にしています。でも最近は、社名が漢字のPEも増えてきましたね。

石井 そうですね ひらがなの社名などもありますしね。

法田 だんだんと、PEの世界も柔らかくなってきたのかなと思います。また、それも時代かもしれないですね。

■涙に触れる仕事

石井 オーナー経営者からすると、会社を「託す」という事は、人生の中で最も大きな、大切な決断の一つであると思うのですが、そうしたいろいろな人間ドラマに接する中で、特に記憶に残るケースや、経営者の方はいらっしゃいますか。

法田 これまで投資した先が28社、「卒業」されたのが21社なのですが、皆それぞれのドラマがあるんですよね。やはりオーナーさんにとって、会社は子供みたいなもの。ある意味、どこの馬の骨とまでは言わないですが、それこそファンドに譲渡するというのは、やはりすごい決断ですし、それは我々からしても、本当に有難いことです。皆さん本当に尊敬できる方々なので、そういう判断ができる経営者って素晴らしいと思います。そういう意味で言うと、皆それぞれドラマはあるはずです。
ただ共通して言えるのは、普通に金融の仕事をしていて、涙を流す場面ってそれほど多くないと思うんです。我々の仕事は、涙を流す場面が結構あるというか、そういう場面に偶然出くわすのではなく、自分たちで作り出すんですよね。

石井 確かにそうですね。

法田 例えば、株式譲渡の調印式の際、テーブルに花を置いて、そして調印する前に、それぞれが一言ずつ挨拶したりします。オーナーさんも話し出すと、昔のことを思い出して、やはり感極まって涙されますし、我々もそこにいると一緒にもらい泣きしてしまいます。そして、調印式が終わり、次に社員を食堂などに集めます。当然社員には何も知らせていませんから、「何が起こったんだろう?」「何が起きるんだろう?」となるわけです。それでオーナーさんが「実は今度この人たちに会社を託すことになった」と、「この人たちは株主で、自分はこの会社を離れるんだ」とお伝えします。女性の社員さんなど泣き出す人がいたり、話しているオーナーさんも、もう感極まってみたいことがありますよね。
まあ、その時は「この人達は何なんだ?」みたいな感じで、悪者なのですけれどね(笑)。でも、我々はずっとオーナーさんと一緒にやってきてるので、一緒に感動しているのですが(笑)。
やはりこう涙を流す場面というのは、金融の仕事をしていて他にはないなって気がしますね。そういう場面をつくれるというのは、この仕事ならではだと思います。

石井 涙に触れる機会を自ら作り出せる仕事なんだ、というのは素敵な考え方ですね。

法田 そうなんですよね。たしかにドロドロした話もあることはあります。やはりオーナーさんにしてみたら、大きなお金も入ってくるわけですし、じゃぁそれをどう使うのか、というのも人それぞれ。寄付された方もいますし、奥さんと世界中を旅行したり、自分でやりたかったことを始めたりする方もいらっしゃいます。そもそもの譲渡の理由が、元気な今のうちにというケースもあれば、余命を宣告され、それほど先が長くないからと決断されて、実際に我々に譲渡されてから数年を経たずして亡くなられたオーナーさんもいらっしゃいます。我々の仕事は、そういう生死も絡んでいたり、やはり一つひとつの思いを扱う、そういう仕事なんだなと思いますね。
ですので「売る・買う」ではなく、本当に「会社を託されたんだな」という気持ちが自然に湧きあがってくるんです。

■積み重ねによる信頼構築が企業改善の本質

石井 「託された」後の企業改善においては、「自立」・「調和」・「継承」 という言葉も大切にされてます。これ一言で言えども実現する難しさがある思います。厳しさの面もありますし。しかしながら、この「温かみ」とのバランスをとる、というところで何か心がけていらっしゃることはありますか?

法田 そうですね、難しいところですね。突き詰めると「人対人」の人間関係というか、人間力につき詰まってしまいます。
我々の考え方で、社員との関係も、適度な緊張感と信頼感を両立させるというのがあります。やはり、お互い甘えてしまってもいけないし、任せきりでもいけない。「適度な緊張感も必要だね、それも信頼関係があってこその緊張感でもあるので、このバランスをうまく保ってやりましょう」という、考え方があります。どちらが上でも下でもありません。対等な目線の中で一緒にやっていきましょう。そういう関係をいかに作るかということですね。

石井 実際の場面では、100%想定通り上手くいかないこともあると思います。その場合はどのように立て直しされますか。

法田 我々の対象は中小企業ですので、日々いろんな問題が当然起こってきます。目の前に次々でてくるモグラたたきじゃないですけれど、日々の問題に常に最善の判断をするということを、いかに積み重ねていくかということに尽きますね。その底辺には、やはり信頼関係が物を言います。新たな経営者の方との信頼関係が重要です。それは内部昇格の場合もありますし、外部から探してくる場合もありますが、その人がどれだけ腹が座っているかみたいなところも含めての信頼関係であり、また我々と社員の方々との直接の信頼関係であったりしますね。
そうしていくと極端にうまくいかない事は、実はそれほどありません。事業再生でもなく、ベンチャーでもないので、それほど大きくつまずいたり、資金に行き詰ったりすることはありません。ある意味やりやすいのかもしれません。水平飛行はできているので、そこからいかにして、もう一回上昇軌道に乗せていこうかと、いかに皆で意識を変えていくのか。決して派手ではないのですが、むしろそこが難しいところですね。

石井 先ほどもお話で、最初は「悪者」と見られて入っていくわけですよね。どう社員の方々の気持ちに入っていくのでしょうか。

法田 そうですね。それでも1か月もたたないうちに、全員と個別面談し、我々の考え方を話したりします。それに今はもうJPEの名前を知ったら、誰もがすぐにネットで調べますからね(笑)。少なくとも、おかしな人たちではないという事はわかってもらえます。
我々は常に社員が主役なんだと言っています。社員の方の、そこの意識が変えられればと思います。むしろ今までオーナー企業としての閉塞感を感じていた人が、それなりの割合でいるんですね。今まではオーナーがこう言うので仕方がなくやっていた、でも本当はこういうことがやりたかったんだ、という思いが、ある意味開放されるので、それを満たしてあげる。変えたいっていう気持ちを実現させてあげる事を積み重ねていくだけでも、信頼感になっていくと思います。

石井 社員との面談も、法田さんが直接されるのでしょうか。

法田 はい そうです。さすがに100人200人となると幹部社員中心になりますが。後は皆の前で当然話したりもします。その中で我々の考えを知ってもらい、皆が心の中でずっと持っていた課題や実現したかったこと等のニーズをいかに引き出し、これから会社が変わっていけるんだよということを伝えています。
逆に思いを引き出した分、今度はそれを変えなかったら即失望感につながります。変えられるところから変えて行ってあげる、ということを積み重ねるということですね。
そして、変えるべきところと、変えるべきでないところをしっかり見極めることが重要です。理念のひとつでもあるのですが、みんな変えていいわけじゃない。

■誰かに必要とされている会社こそ残していく

石井 この変えるべきでないところは、どのタイミング見極められているのでしょうか。

法田 それは、やはりデューデリジェンスの時ですね。そもそも何故この事業を興したのかを聞きながら、まさに今回TRAILさんにビジネスデューデリしていただいた案件の過程でも、この会社の強みはここだと判断しました。だからここは絶対に変えちゃいけない。と言ったようにデューデリジェンスの中で、最初に見出しています。

石井 では、強みが明確に見極められなかったときは、逆に踏込むべきでないということでしょうか。

法田 そうですね。確かにそうです。

石井 常に数多くの紹介案件があると思いますが、その中で投資される「託される」ところと、そうではないところの差はどこにあるのでしょう。

法田 投資ファンド目線の言葉で言うと、3つあります。「収益性」「安定性」「EXITの実現性」です。きちんと利益が上がっているか。それほど成長しなくても、きちんと安定した事業運営ができているか。そして、やはり次のステージで誰かに必要とされるか、というのもマストです。この3つの要素があれば、投資は行います。

石井 特徴が出ていない会社だとやはり難しいと言う事ですね。

法田 そういう事ですね。Necessaryと言っていますが、誰かに必要とされているものを持っている会社を残していきましょう、ということです。現在年間で150社ほど、ノンネームでいうとその倍以上300社くらいある中で、実際投資するのは3社ぐらいです。50分の一か100分の一かというところですね。

石井 かなり見極められているのですね。勝手な外からの意見ですが、JPEさんはこういうスタイルで運営されているからこそ、もっと広がっていけばいいなと思います。日本では年間20万件を超える廃業もありますし、残すべき会社も多いと思います。

法田 おっしゃるように ニーズは増えています。年間に2、3社の投資だと全然追いつかないですし、もっと広がっていいし、もっといろんなファンドができてもいいと思います

■個性あふれるストレス耐性社員!?

石井 JPEでの仕事は、厳しい面もあり、また人間的にもいろいろな経験ができる場所だと思うのですが、JPE社員の方に対しての思いや、期待する事についてはいかがしょう。

法田 我々の仕事って、若い人にとっては面白いと思うんです。30代で中小企業の取締役という立場になれます。もちろんそれなりに厳しい目でも見られますし、ちゃんとしないといけないのですが、日々いろんなことが起こる中での判断を、経営のひとりして一緒にやっていき、そこで多くの経験を積みながら、個の人間力を磨いていく。30代から経営力と人間力を磨ける。むしろ、大いにいろんな経験をして欲しいと考えています。

石井 採用時、特に見られているところはありますか。

法田 そうですね、ストレス耐性でしょうか。TRAILの皆さんと同じかもしれないですね(笑)。

石井 はい、その点はとても重要だと思います(笑)。

法田 PEファンドもたくさんある中で、それなりの報酬が欲しいとか、上昇志向のすごく高い人は大きなファンドに行った方がいい。我々の場合は、泥臭い中小企業が対象ですので、あえてそこを選ぶというのは、JPE社員は多分少し変わった人なんですよね(笑)。

■マイクロキャップへのチャレンジ

石井 最後に、JPEとしての今後のチャレンジの方向性について、お聞かせ願えますか。

法田 そうですね。基本的にはまず変えない、というのがひとつあります。継続性、再現性という意味で、中堅・中小企業の事業承継ファンド、というこの軸はぶらさないですね。
先ほどの御三家じゃないですけれど、JPEは初めてスモールキャップのバイアウトを行ったパイオニアです。ただ今は、他のファンドさんがミッドキャップと言っていたのが、スモールキャップに徐々に降りてきて、たくさんのお金持っているのに、小さい案件をやり、バリエーションが上がってくる、そういう環境になってきています。そこで我々は次に、上に行くのではなく、更にもう一つ下、マイクロキャップといえるようなゾーンに降りて行こうかなと考えています。

今回、東京都が自治体として事業承継ファンドに出資を決め、25億円のファンド資金をお預かりして進めていくことになりました。このうちの一定割合を、小規模企業にも向けていきます。そこにはニーズがたくさんあるというのはわかっているし、M&Aの仲介会社も、基本的には一番厚いこのゾーンを対象としています。当然ファンドマネジメント会社として、お手伝いできることがあるはずだと思っていたのですが、採算に合わないとういうビジネス上の理由から、やりたくてもできなかったのです。けれど今回は東京都という大きな看板があります。中小企業および小規模企業のオーナー経営者さんにも、ハゲタカファンドではなく東京都だ、という安心感を持ってもらえます。そして資金の一定割合を小規模企業に向け、ファンドとして全体のリターンは確保しながら、小規模企業への投資というチャレンジができる。今回ようやく小規模企業を対象にできる体制になったということです。

石井 なるほどトータルで考えるわけですね。そうすると成長余力の強いところでないと難しくなるかな、とも思うのですが。

法田 そこも、今までの先入観にとらわれていると、きっとうまくいかないので、一回頭を真っ白にするのと、専任の担当者を置きます。今までは3年、5年かけて中長期で企業価値を上げてきましたが、今回はもっと短期に、それこそ半年・1年できれいに整えて、すぐにバトンタッチすると。いきなり事業会社さんが来ると、買えないかも知れないが、その前に一回ファンドが入り、きれいに整理してあげるだけで前に進めるという会社も数多くあると思います。どちらかというと、ソリューションファンドという位置づけなのかなと考えています。

石井 まさに新たなチャレンジですね。以前、信金の幹部の方から、事業会社が小規模企業と取引する際に、実態がわからないのが不安な為、信金を与信機能として活用されている、という話を伺いました。確かにきれいに整理する、という価値はありそうですね。

法田 はい、今回のファンドも信金さん等の地域金融機関さんにも入っていただいて、一緒に取り組めればと考えています。
また、今は地方創生が注目されていますが、一方で、東京都の中小企業といっても、実際は地方の中小企業と同じなんです。地方にいくと、地銀さんがあって目が行き届いている。東京都はメガバンクが中心ですが、メガバンクは大企業に目がいっているので、東京都の中小企業って可哀想なんです。そこで事業承継を相談しようと思っても適切な相談相手がいないので、「仲介会社のセミナーに行こう」、ということになってしまうんです。まさに東京がドーナツ化現象で空白地帯になっている。だから、ここにもきちんとソリューションを与えてあげないといけない。我々の案件は、いまだに地方が多いのですが、常に逆張りなんです。皆が地方にいくと、今回また東京に戻ってくると。

石井 リーマンショック後の投資といい、法田さんの人生選択といい、逆張りが一つの軸でありますよね。この東京都の事業承継ファンドは社会的意義も強いですし、案件もかなり多くなりそうだと感じます。

法田 そうなるといいなと思います。そうすると何かきちんと仕組みを作らないといけません。そういう中でTRAILさんと一緒に何かできるといいなと思っています。

石井 こちらこそ、宜しくお願いします。TRAILとしても、今後様々なトライアルをしていきたいと考えています。
本日は様々なお話をお聞きできました。ありがとうございました。

 

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※注1 事業再生ADR制度は、経済産業大臣の認定を受けた公正・中立な第三者が関与することにより、過大な債務を負った事業者が法的整理手続によらずに債権者の協力を得ながら事業再生を図ろうとする取組を円滑化する制度です。(経済産業省HPより)

※注2
株式会社日本M&Aセンター(東証一部上場)       36.1%
株式会社日本政策投資銀行(政府出資100%)      35.6%
日本アジア投資株式会社 (東証一部上場)     20.8%
その他         (自己株式、役員)     7.4%
(日本プライベートエクイティ株式会社HPより。 2018.12現在)

 

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