今年設立25周年を迎え、海外から日本に赴任・駐在される外国人向けリロケーションを始めとした多様なサービスを提供する株式会社エイチアンドアールコンサルタンツ社。
1993年、ハリー・A・ヒル、ロバート・W・ローチによって共同設立。(※株式会社オークローンマーケティングの100%子会社から、2010年に現株主に株式譲渡)現在、株式会社エイチアンドアールグループの中核を担っています。連載第二回目は、株式会社エイチアンドアールコンサルタンツ 名古屋本社にて、コンラン・ブライス社長とTRAILオペレーション・ディレクター河井が対談し、経営者としての想い、取組みについて語っていただきました。
■2人の外国人が作った企業
河井 本日は、よろしくお願いします。今回の対談にあたり、まず御社の業界および事業内容についてお聞かせください。
ブライス エイチアンドアールコンサルタンツ(以下「H&R」)及び、エイチアンドアール グループは主に海外赴任・駐在する人を対象に様々なサポートを提供しています。
今年で設立25年ですが、この名古屋で2人の外国人によってスタートしました。最近、日本がロッキードマーティン社のF35戦闘機を新しく導入することが話題になっていますが、25年前の当時はF-2戦闘機(三菱重工業と共同開発)を日本に導入する際、それに伴い、多くの赴任者が名古屋に駐在することになりました。当時は、海外赴任者をサポートする会社がなく、そのことにいち早く気づいた創業者の2人が名古屋の不動産会社と提携し、外国人のために仲介をはじめとする様々なサービスを提供し始めました。
河井 それがスタートだったんですね。
ブライス それから、ちょうど25年後に日本がまたロッキードマーティン社の採用を決めました。H&Rもまたこの先20年はいけるかな、と思っています。
このリロケーション業界には、同じような会社は多くありますが、我社のように幅広く様々なサービスを展開している会社は少なく、我社の強みとなっています。他社はどこもリロケーションサービスや生活サポートのみで、他はサービスごとに会社を紹介したり、通訳業務などが基本です。一方で我社のように自動車リース、家具レンタル、免許証取得サポート等さまざまなサービスを提供している会社はほとんど存在しません。それが、我社の特長の一つとなっています。
社内でのスタッフとの会話で、「我社は何をやっている会社なのか」との問いには、簡潔に言うと「問題解決をやっている会社です」という答えが返ってきます。お客様が抱えている様々な問題を解決する会社です。
河井 駐在に来る方が生活全般で困っている問題をすべて解決するということですね。
ブライス 駐在員だけではなく、駐在員が所属する会社に対しても、来日するにあたっての諸問題をすばやく解決方法を提案できることが、我社の強みだと思います。
河井 そういった意味では、幅広いサービスを提供している会社というのは、珍しいわけですね。他に、競合となるような会社はありますか。
ブライス はい、あります。名古屋では1,2社。東京はもう少し多く存在しています。
河井 その中でも、名古屋ではかなりのシェアを得ていらっしゃいますが、それは英語が話せて、不動産の知識がある人がいるからということが要因の一つでしょうか。
ブライス はい、英語での不動産サービスを提供できるというのは本当に珍しいです。他に1社あるかな、というくらいです。また、一番のニーズは英語ですが、その他、フランス語、中国語などを話せるスタッフがおり、多言語でサービスを提供できる会社です。
■縁と運と実力と…
河井 今年(2018年)4月に社長に就任されましたが、ブライスさんがここに至るまでの経緯、日本に来たきっかけ、なぜこの名古屋のH&Rを選ばれたのかをお聞きかせください。
ブライス 日本に来るきっかけは、私が14歳の時、出身のオーストラリアの中学校の授業で選択科目がありました。普通男性だったら、ウッドワーク(物を作ったりする授業)を選ぶのですけれども、私は手先があまり器用ではなくて、全然そういうのができなくて。それで、それ以外ということで外国語を選択しました。ドイツ語とかフランス語などは昔からあったのですが、ちょうどその頃オーストラリアに多くの日本人観光客が来て、日本語という科目が新しく導入され始めたタイミングでした。私の中学校にも、日本語のクラスがオープンして、やってみようと思いました。その時の最初の先生が日本が大好きで、日本に住んだ経験もある、とても熱いオーストラリア人の先生でした。授業に日本のものを取り入れたりしてくれて、彼の影響がとても大きかったと思います。その後、日本の学校にもホームステイを2~3回しました。
高校卒業後、九州の佐世保に1年間留学し、帰国後オーストラリアの大学に入ったのですが、あまり大学を楽しめなくて、ワーキングホリデーで1年休学し、日本に行くことにしました。それが、初めての名古屋であり、1年ほど住んでとても好きになりました。
河井 名古屋でのワーキングホリデーでは、何をされていたのですか
ブライス いろいろな仕事をやりました。でも、ほとんどがバーテンダーなどのような仕事でしたが、実はその時に私とH&Rの繋がりが始まったんです。バーテンダーをやりながら、ある時期H&Rにアルバイトで入社したんです。確か1996年。H&Rの設立が1993年なので本当に初期ですね。私も19歳くらいで若かったですし、当時は、もう本当にすごく小さくてしょぼい事務所でした。昔、学校の先生達が使っていたグレーのデスクとイスあったじゃないですか。「あれ」です。
河井 「あれ」ですね。よくわかります。
ブライス いつも笑い話で言っているのですが、実はその時アルバイトをクビになったんです。数か月のアルバイトだったのですが、テレフォンセールスをやっていました。国際電話料金が安くなるサービスを、日本にいる外国人に電話して契約を取る仕事をしていました。全く売れず、1か月でやっと1件契約できたくらいで、しかもその1件も知り合いです。結局2,3か月経っても契約は1件で全然だめでした。
現在はオークローンマーケティングにいる当時H&Rの社長だったスコットからは「ブライス、ごめん。もういいです。あなた要らないです」ということでクビになりました。
そしてその後、2006年にもう一度、この会社に面接を受けるチャンスがありました。あっ、その前に一度、H&Rに履歴書送ったことがありました。
でも面接まで行けず、書類選考で落ちました。
河井 そこまでしてH&Rに入りたかった理由は何かありましたか。
ブライス その時は他でなく、どうしても名古屋に住みたいと思っていました。オーストラリアの大学を卒業後、日本に2000年に再来日。2000年から2006年は埼玉と名古屋で英語の先生をしていましたが、やはり名古屋に来たかった。当時は、日本語は少し話せましたが、日本語と英語のスキルだけでできる仕事はそれほど多くはなく、H&Rは、以前から知っていたので履歴書を送ってみたのですが、ダメでした。
その後2006年に、偶然、私のオーストラリアの友人がH&R東京オフィスのマネージャーをしており、その友人から「名古屋オフィスで今、人を募集しているけど興味ありますか」と連絡があったことがきっかけでした。
そして、友人のおかげで、今回は無事に面接までたどり着きましたが、その時の面接相手が96年に私をクビにしたスコットでした。面接のときに気付き、「あ、マズイ」と思いましたが、ラッキーなことにパスしました。といった歴史です。
河井 では、2006年にもう一度H&Rに入社されたわけですが、当時、会社はどれくらいの規模でしたか。また、2006年から12年間、今回はクビになることもなく順調だったのですね。
ブライス 名古屋オフィスは今と全然違っていて十数人ぐらいでした。東京オフィスも同じくらいの規模でした。年を取った分、昔よりしっかりしましたので、クビにはなりませんでした。また、入社当初から、リロケーション事業とリース事業を中心に様々な業務に携わることができました。
河井 入社してから12年間異国での仕事、かつ不動産というドメスティックな業務ですので、様々な苦労があったと思いますが、どのように解決されてきたのでしょうか。 それこそ、この12年間でH&Rをやめようと思ったことはなかったのでしょうか。
ブライス はい、やはりいろいろな苦労はありましたよ。特に入社当初は、現在でも完璧ではないですが、オンボードトレーニングのマニュアルなど何もない状態で、Day1からいきなり外のサービス同行、2週間目からは自分でやってくださいといった感じでした。とても大変でしたし、当時の私の日本語は日常会話程度でしたので、ビジネス用の日本語に加え、不動産の専門用語が加わり、最初は半分ぐらい笑顔でごまかしていました。
また、それまで自分で部屋を借りた経験がなく、仲介や広告宣伝費など聞いたこともなく、決まり事もわからなかったです。でも、わからない中でも、駐在員の困っていることを解決し、喜んでもらうことに大きなやりがいを感じていました。今でも覚えているのは、一番初めに仕事を担当していたお客様から私に対するクレームが入ったことです。当時の社長、スティーブから、担当変更すると言われたのは、かなりショックでした。その時は、自分には向いていないのかなと思ったのですが、この仕事がとても好きでしたので、頑張ろうと思いました。
特にリーマンショックで、会社の売り上げがダウンした時は、この会社に将来性はあるのだろうかと、悩んだときもありました。その時は、オークローンマーケティングという大企業の子会社でしたので、大企業で働いている外国人と接するときに、やはり大きな会社で働くのは楽しそうだなと思った時もありました。それでも、なんだろう、やはりここH&Rがいいなと思ったんです。大企業と違ってフレンドリーかつフレキシブルな環境が自分にはあっていると思ったからです。大企業では、すぐにルール変更するのは難しいですよね。
河井 そうすると、どちらかというとご自身で起業家というか、大企業の一社員よりも、会社をマネジメントし、自ら創造していきたいということでしょうか。
ブライス おっしゃるとおり、そうですね。
■困難な局面で見つけたもの
河井 経営者とか起業家のマインドが、その当時に芽生えていたということでしょうか。また、お話にありました2008年のリーマンショック。この影響がどの位だったのかわからないですが、その後2011年の東日本大震災もあって、相当数の駐在員が帰国し、その後なかなか戻って来ない。当時マネージャーをされていたと思いますが、その影響で、社内でも人員整理みたいなところもされたのでしょうか。
ブライス そう、マネージャーでした。
河井 それをどのように乗り切ったのでしょう。厳しい状況で、どのようなマインドで挑まれていったのか。当時を振返っていかがですか。
ブライス そうですね。リーマンショックがやっと落ち着いたと思ったら、震災が起きて。本当に大変な時期でした。H&Rのビジネスは来日時、帰国時両方ともにビジネスがあります。この時期は、多くの人が帰国し、それで少しビジネスになりましたが、やはり継続的な仕事はなくなるので、経営的には厳しい時期でした。また、心が痛みましたが、社内で希望退職者を募り、経費削減も行いました。社内でスピーディーに対応できるシステムであったため、これらのことができたのだと思います。
河井 人員整理とかできることならやりたくなかったということですね。ブライスさんがそのような経験から経営視点として、当時のスティーブ社長が行ったことに対して、学ばれたことはありましたか。
ブライス やはり、悩むだけではなく、すぐに行動することですね。当時、スティーブ社長は素早く意思決定し、自ら行動し、皆にそれを示したこと。なかなか決めにくいことも多くある中でも、すぐに意思決定し行動することが重要だということの重要性を学びました。
■変化への対応、その難しさ
河井 難しい局面でも、経営者として意思決定しないといけないということですね。外部環境の厳しい中、設立25年が経ちました。ブライスさんが入社してから十数年が経過して、会社全体がどのように変化されたのか。成長や企業文化、例えば昔から残っていることや、良い変化についてお聞かせください。
ブライス そうですね。いくつかあるのですが、一点目は継続サービスの重要さを実感しています。以前は、来日時・帰国時のみのビジネスで仕事の波が大きかったのですが、特にこの10年、リース事業で新規に継続サービスを始めました。この継続サービスがあるからこそ、しっかりとしたベースが作れるのだと思います。来日・帰国での波を小さくすること。これは昔と今の大きな違いのひとつです。
2点目は、先ほどお話しましたが、私の入社当時は、プロセス、トレーニング、マニュアルが何も無く、100%OJTでした。
それまでは皆自分のやり方それぞれでやっていたのですが、特にここ数年、名古屋ではTRAILのおかげで様々な業務をプロセス化でき、業務については現在ほとんどノータッチでチームに任せられています。このプロセス化ができたのもTRAILとのプロジェクトがあったからだと思います。現在の東京・神戸オフィスの問題は、3年前の名古屋オフィスと同じで、プロセス化ができていないからだと気付きました。その状態で急に忙しくなると、全部崩れてしまうんですよね。TRAILとのプロジェクトはとても勉強になりました。特にプロセスの重要さ、PDCAサイクルなど、その大切さがわかるようになりました。現在、私自身、少しずつですが、他のオフィスでTRAILプロジェクトの経験を活かして、プロセス化を試みているところです。
3点目は、H&Rが大きく変わった点があります。2年程前に、シンガポールに本社がある会社を買収しました。その会社は、アジア16ヶ国にサービス提供しています。現在、前社長のスティーブが赴任しています。そして今年、次の3か年事業計画を立てる時期です。これはおそらくH&Rグループで最も重要なトピックになります。ポイントはシンガポールで展開しているアジア向けのビジネスとこの日本のビジネスを統合すること、日本とアジアではなく、アジアを包括するサービスを提供している会社にリブランディングします。
これまでは、日本だったらH&R、リロジャパン、この国だったらこの会社と、国ごとにいろいろな会社とやり取りしなければならかったのが、これからはアジア各国統一の料金とサービスメニューで17ヶ国をカバーできます。これがH&Rグループにおいて、これからの大きな強みになります。
河井 アジア17ヶ国ですか。それは、すごいですね。今後は、アジア各国でビジネスを展開し、日本のみならずアジアでのシェアを獲得していくということですね。ところで、先ほど私どもTRAILとの取り組みについてお話が出たのですが、私が御社に伺った当時は日本国内の景気も回復し、駐在員もグッと増えたところでした。そのような中でリソースも時間も不足して、失礼ながら社内の雰囲気もあまり良くないなという印象でした。本当に大変な時期だったと思うのですが、あらためて当時を振り返ってみていかがですか。
ブライス はい、大変な時期でした。もう本当に皆が大変な状態だという事はわかっていたのですが、どのように解決したらいいのかが、わからなかった。今までもいろいろな波を見てきたけれど、全てが全部重なって、会社も成長していく中で、これまでのやり方がフィットしなくなっていた時期でした。変化が必要だということはわかっていたけれど、どう変えていいのかがわからなかった。そんな時、TRAILが来てくれて1年過ぎて「あーこれだったな」と、本当にTRAILには、助けられました。
今、東京オフィスでもいろいろ試してはいますがなかなか進んでいません。それは、東京はまだそこまで変化することが必要だと思っていないから。やはり変わらないといけないと自ら気付くからこそ、いろいろできると思うんです。
当時の名古屋と今の東京との違いですね。変化するためには、当然苦労することもあります。やることが増えるかもしれない。でも「変化したその先を見通すこと」が、とても大切です。
■将来に向けた思い
河井 今、お話をお聞きしていて、私が最初にお会いした当時よりも、ブライスさんご自身の考え方や行動などに経営に対して高い視座が加わったなと感じました。社長に就任され、H&Rという会社を経営するポジションになって、もともと自ら事業を創造していきたいという思いがあったと思いますが、今後の経営に対する思いをお聞かせいただけますか。
ブライス スティーブ前社長は、とても尊敬していますし、いろいろ勉強になります。しかし、彼と全く同じではなく、自分のスタイルでやっていきたいです。まだ、完璧な答えはないけれど、大事にしたいのは、すべてはチームがあるからこそできる。今、起きている問題をよく見ていると、チームになっていないためだと思うのです。私は強いチームを作りたい。会社全体と各ディビジョン、各オフィスも同じです。それぞれ強いチームがあるからこそ、成長もできるし、新しいことにもチャレンジできる。そういう強いチームを作りたいですね。
個人の能力があっても、個人でやれることは限られます。成長についても同じです。そこでチームに育て、機能させることがH&Rグループを成長させることだと思います。人員に関しては、ただ増やすのではなく、効率も考えつつ、何にでも対応できるレベルの人員という意味で、今後は検討していきたいです。少し余裕があるから、新しいセールスやプロジェクトもできる。ギリギリの状態では、今のこと以外はできません。
河井 チーム、人員に対する投資とその先にどの程度のリターンがあるのかということでしょうか。
ブライス ただ人数を集めるために採用するのではなく、スキルセット含め計画的にしないといけないと思います。例えば、宅建法の関係で宅建取得者を一定数以上在籍させなければいけません。バイリンガルというだけではなく、英語も話せる宅建取得者を優先して採用する必要があるといったことです。
河井 先の展開を見据えた人員配置をしていかなければならないということですね。
ブライス 後、課題になっているのは残業問題ですね。私自身、いろいろなお客様と話す機会もあり、そこで思うのが、やはり日本はとても特徴的ですね。私自身、海外で務めた経験はありませんが、非効率な部分があると思うんです。それと文化的なことでは、上司がいるので先に帰れないとか。いくらH&Rが日本的な企業ではないとはいえ、やはり少しはあるんですよね。
最近、深夜残業に新しいルールをつくったのですが、深夜残業はする必要がないと思っています。残業するのであれば、もっと効率的にやらないといけません。例えば、朝の2時間は、夜の4時間の労働に匹敵するとするなら、朝にシフトすることも考えたりすることも必要だと思っています。でも、今はこれまでのプロセス整備もあって、スタッフのマインドが大きく変わりました。やはりスタッフは常に100%元気でいて欲しいと思っています。
河井 そういう意味ではビジネスとしても、人を大切に課題解決する業務であり、会社自身、社員を大切にしている企業であり続けたいということですね。
ブライス 人の採用は難しいです。ただ、H&R社に入社するのであれば、将来にわたってH&Rで働き続けたいと思ってもらいたいと考えています。
河井 初めてお聞きする多くお話もありました。本日は、ありがとうございました。